初めてコメントをいただいたことに飛び上がる男
ども、とんとんです。
昨日の記事にはてなブックマーク経由?でコメントをいただきました。
ブログを始めて初のコメントです。
本当にうれしいです。
つけてくれた方、ありがとうございます。
自分の書いたものにコメントが来たという経験は初めてではありません。
実は僕がまだ中学生の頃、日記感覚でブログを始めて、友達同士でコメントをし合ったりしておりました。
色々と恥ずかしいことも書いてありますので、さすがに削除してありますが、自分の生きた証の一つであることは間違いありません。
残しといても良かったのかな?
今回は初めて、顔も知らない誰かから自分の考えについて意見、共感をもらうことができたという一つの成功体験を得ることができました。
ブログのいいところは、コメントによって、自分似たような考えを持っているということを知ることができ、自分は一人じゃないんだと安心できること、そして真逆の意見をぶつけられて、そんな意見もあったのかと発見ができる、この2点にあるのではないかと思ってます。
すごくいい時代になったものですね。
自分が若いうちからこのような環境が整っていたことは僥倖でした。
自分の周りだけでない、世界中からの意見を知ることができる。
そして、意見を発信するという練習をすることによって、自分の中にある意見をより深く練り上げることができます。
あれ、これもブログのいいところか(笑)
まだまだ文章の技量はぺーぺーですけれども、自分の思いの丈をこのブログというフィールドにぶつけていきたいと思いますので、ぜひこれからも見ていただければと思います。
◇今日のまとめ
コメントありがとう!
親の呼び名を失った哀れな男の話
ども、とんとんです。
皆さんは自分の親をどのように呼んでいますか?
「お父さん、お母さん」
「パパ、ママ」
「おとん、おかん」
他にも色々な呼び名があると思います。
僕も幼い頃から
両親がパパ、ママと呼び合うのに合わせて、「パパ、ママ」と呼んできました。
しかし、それはずっとは続きませんでした。
人は成長するに従って、周りの目を気にするようになります。
かくいう僕も、ご多聞に漏れず、人の目だとか常識とかいうものを気にするようになっていきました。
そんなことを考えるようになった中学生前の僕は
「この歳にもなってパパ、ママ呼びなんて、子供みたいで恥ずかしくないか?」
という思考をするようになります。
そこで、僕はある日こんな宣言を両親にします。
「今日からパパ、ママやめて、お父さん、お母さんにするから。」
この通り言ったかは記憶が定かではありませんが、とにかく呼び名を変えるということは宣言しました。
そして新しくお父さんお母さん呼びの日常が始まるのでした。
と、思うじゃないですか。
ダメでした。
多分1日も続けられなかったと思います。
試しに呼んではみるものの
「なんか気持ち悪い。無理。」
と思ってしまった僕は、それ以降両親を
「ちょっと」「ねえ」「(要件からスタート)」
と呼ぶ、ただの反抗期の少年になってしまいました。(実際反抗期らしい反抗期は大して経験してないですけと)
しかも、それは現在まで続いており、親を呼び名で呼ぶということに抵抗を抱えたまま生きる特異な人間になってしまいました。
親も親で、パパ・ママと呼び合うと子供たち(主に僕)にとって良くないと思ったのかどうかはわかりませんが、なぜか父は母が目の前にいない時や文面では、母のことを母と呼ぶちょっとよくわからない状況になってしまいました。(母は変わらず、父のことをパパと呼んでますけど)
ともかく僕は両親のことを何と呼ぶこともできないまま成人し、今に至ります。
こんな人っているんですかね?
いや、意外といるのかもしれないですね。
親のことを人に話すときは「父さんは」「母さんは」とか言えるんですけど、本人に言うときは言い慣れていないから口をつぐんでしまいます。
あまり親と話さなくなったのもこの頃からですかねー。
大した反抗期は経験してないと言いましたが、ペラッペラに薄くのばした反抗期みたいなものが始まった頃だと思います。
僕の場合はあんまり親と話したくないとか、隣で買い物したくないくらいの本当に可愛いもので、よく言われているようなガン無視とか掴み合いの喧嘩とかそういう深刻なものではなかったんですけどね。
ちゃんと呼ばれないこと寂しがってたりするのかなー。
皆さんはちゃんと親のことを呼び名で呼んであげてくださいね。
◇今日のまとめ
親の呼び名を変えることに失敗して、何とも呼ばなくなりました。
ケアレスミスを吹っ飛ばせ!
お久しぶりです。
とんとんです。
少しほっとくと更新を忘れてしまうので、とにかく思いついたことはメモをするというくらいの気持ちで書いていきたいですね。
●ケアレスミス、また出会ったな...!!!
今日はみんな大嫌いなのに、幾度となく出会ってしまうケアレスミスについて。
みなさん、ケアレスミスはするほうですか?
僕はめちゃくちゃケアレスミスが多い人間です。
正直集中力が人よりもないので、問題を斜め読みすることなんかしょっちゅう。
難問も連続でやると疲れからか、ケアレスミスさんが2回も3回も「こんにちは!」してくるくらいには、ケアレスミス上級者な自信があります。
そんな僕は、時折、なんで間違えたのかしばらく本当にわからないようなケアレスミスに出会います。
例えば、私は現在運転免許を取得中なのですが、学科で出題される問題は単純な丸ばつ問題です。
この単純な丸ばつ問題でも、数を重ね、疲労が溜まることによって、ケアレスミスを量産しかねない状況を生みます。
こんな問題があるとします。
AはBではない。
(答えは◯とします)
こういう問題に対して、学科の問題は◯か×で答えるわけですが、何問も同じ問題を解いて、疲れた私の脳内では時々こんな処理がされています。
AはBではない。
そうだよな。
Bではない、ない、ない、否定、違う
×だ!!!!
こうした脳内変換ののち、待ってましたとばかりケアレスミスが登場してしまうわけです。
皆さんも、こういった「正解を導く知識はあったにも関わらず、ミスをしてしまう」ことに、心当たりがあるのではないでしょうか?
疲れた頭の隙間にぬるりと入ってくるケアレスミスは非常に厄介なものです。
●見直しに一スパイス
ではケアレスミスを限りなく少なくするには?
流石にやっている人が大半だと思います。
そう。
見直しですね。
1度とくだけでは、先ほどのような脳内変換が生まれたことに気がつくことができません。
全ての問題を終えて、一息ついて、さあ間違ってる問題はないかな?と余裕を持って振り返ることによってケアレスミスを限りなく少なくすることができます。
ただ、振り返る前に、一度深呼吸することを忘れないようにしましょう。
疲れた状態ですぐ見直しをすると、疲れをひきずったまま見直しをしてしまうので、ケアレスミスを見つけにくくなります。(実際すごく簡単なのに、見直してもミスに気づかなかった問題がありました。)
問題を解く。
深呼吸。
見直し。
受験生や、何か検定を受ける皆さんはぜひこの3段階を忘れないようにしてくださいね。
解ける問題を落とすのはもったいないです。
●今日のまとめ
1.わけわからん脳内変換によるケアレスミス
2.ケアレスミスをなくすには、解いた後、深呼吸、見直し!
むちゃくちゃしたれ
こんばんは。とんとんです。
前回(追記:削除しました)は自分がどうしたらいいかわからずふらついているということを言っていましたが、もちろんすぐにわかるわけではないので、今もわかってはいません。
ただ、今は行動するしかないです。
実は今、自動車免許の取得も並行してやっており、だいぶそれで圧迫されている状況です。
なんでまだやってんだよって思うでしょうが、これに関しては、自分の時間管理能力の不足としか言いようがありません。
終わらせようと思えば、1か月でも2か月でもいくらでも早く終わったんです。
こんなこと、免許以外のどのことにでも言えることですけど。
できることは今すぐにやるべきです。
今やらないってことは、結局のところ将来の自分に対して、時間の借用をして、しかもそれを無駄にしているに他なりません。
就職とか、自分の方向性についてもそうです。
やれることはどの年だろうといくらでもあります。
結局置いといたことは損失でしかありません。
この状況を解決するには、行動することしかありません。
後悔や恨み言(自分に対して)はいくらでも出てきますが、そんなことを言っていても何も生み出すことはない。
まずはやれ。
もうむちゃくちゃしたれ。
なにくそー、ふざけんな、絶対に見返したるって気持ちを忘れずにやっていきます。
※自己暗示ですので、自分ができていないのに偉そうに何言ってるのって感想は受け付けますが、気にしません(笑)
◇今日のまとめ
とにかくやろう
みすちーさんみたいなめちゃめちゃ頭使って考察した記事かけるようになりたいなぁ
アウトプットする内容なさすぎるなぁ
性格がいい?
こんばんは。
1回目のブログを投稿してから、結局放置してしまいました。
とんとんです。
ネタはいろいろ転がっててもなかなか言葉にまとめるのは難しいものですね。
すみません嘘です。ただめんどくさくなってただけです。
息抜きか何かにやってるこういうことがめんどくさくなったら終わりじゃないかと思いますが、それはそれとして。
今日思ってたことは性格がいいってなんだろうってこと。
あの子は性格がいい。そう思うことありますよね。
ただ、改めて考えると性格がいいってなんなんでしょうってことなんです。
基準があやふやで良くわからない。
しばらく考えると、「そうか!僕が性格がいいと思う人は自分にとって都合のいい人なんだ!」という考えが出てきます。
ただ、それを突き詰めていきますよね。
そうすると結論として、自分に一番都合がいい人間は自分なんですよ。
世界で一番(僕にとって)性格がいい人間は僕なんですね。
もう意味がわかりませんね。
でもそうじゃないですか?
僕の悪口を言わない。
僕の行動を先読みして、整えてくれる。
僕が遊びに誘うといつも来てくれる。
そんな人がいたら完璧ですね。
そんな人はいないんですが。
しかしながら、性格がいいっていう基準は人それぞれです。本当に十人十色です。
結局万人に共通する性格がいい人間なんていないんですよ。
結果、性格がいい人間なんていないという結論に至りました。
そう、性格がいい人間なんて存在しないんです。皆自分のことを一番に考えるに決まってるじゃないですか。生き物なんだから。
でもそう考えると思考が楽になります。(人によっては地獄になりそう)
世界には性格のいい人間なんて一人もいない。
じゃあもう性格なんてどうでもいいじゃないかと。
世の中顔だ顔(笑)
最近は本当にいろいろなことがどうでも良くなりました。
なんでそんな小さなことで悩んでるんだろうってはたからみてて思うことばかりです。
この世を生きていく知恵かもしれませんね。
この鈍感力?受容力?
僕は全てを受け流してるだけなんですけどね。
結局何が言いたいのかわからなくなりました。
この世は皆悪魔!鬼!
嘘です。
以上!(笑)